怒りの根源

「なんでやねん!」

ひきこもり当事者が家族に対して「怒り」があると家族が感じるとき。

それは「お前が言うな!」というツッコミが多分にある場合だ。

親や家族が思っている以上に、当事者は親と家族を知り尽くしている。

自分のことを棚に上げて話をするとか。そういうつもりじゃないけれども、親として自分の経験からアドバイスとしてとか、同じ苦労をしないようにとか。いろんな理由があるけれども。

結局つまりは自分のことを棚に上げて話をされると、本当に火に油を注いだように炎上するので気をつけよう。その怒りは棚に上げて話をされることへの怒りでも有るし、そうさせている自分への怒りとそのアドバイスが的を得ていることへの怒りなどもあって、もう、二重に三重に怒りがわけわからん状態になっている。

そうなると本人にも感情が制御不能なので、暴走して破壊の限りを尽くすこともある。

とても危険なので、とりあえず避難してほっとこう。

冷静になったら。自分でも理解できない感情の中で、理解できない自己嫌悪でいっぱいになって、いっそうひきこもりへと向かう。場合によってはそんな自分の中に家族との共通点を見つけて自分のことを家族のせいへ転嫁して自分を慰めることもある。でもそれはそれで自覚があったりすると無意識にでも自己嫌悪へと繋がっていく。

なにもかも自己嫌悪の連鎖の中でひきこもりを続けることに成っていく。

親の経験談とかアドバイスとか一般論とか。そういうのはとても危険だ。起爆スイッチだ。状況が悪化するのでしないほうが良い。

同族嫌悪というか、同じ穴のムジナとでもいうか、とにかく「お前が言うな」という気持ちが爆発してハンパないことになる。結果が「怒り」なのだ。

当事者が半端なく怒りを抱えていると感じる場合は。冷静になって心当たりを考えよう。

心当たりなんて無い。欠点がない。そういう人ほど要注意。
なぜなら、そんな聖人君子いるわけないからです。
ということは、意識していない問題を抱えていることになります。大変ですね。

問題が既にこじれていて修復不能となっている場合。とても難しいですが。言葉ではなく実践で示すことが重要かもしれません。

今まで積み上げた実績とか社会的な地位と名誉とか、そんなものはどうでもいいです。「俺が若かった頃は・・・」とか言われても関係ないし、それを言うなら当事者が若かった子供の頃だって今と違ってたよ、とかいう話になる。単なる怒りの燃料にしかなりません。

親や家族がしてないことや嫌なことや避けてることをしろと言っても駄目なわけで。ならば親や家族がしてみせる。楽しんでみせる。笑顔をみせる。変わってみせる。運動してほしいなら運動をする。朝晩ジョギングとか。外出してほしいなら外出して文化教室とか参加する。

そうして親や家族が変わったならば。前向きに変わってもらえるきっかけになるかもです。

でも「やってるぜ!」アピールは無駄に怒りを買うのでしてはいけません。当事者の為にやるのではなく、自分のためにやるのです。自分のためにやる姿を見せることがポイントです。だから「やってるぜアピール」とか、わざわざその話題をしてみせるとか、しないでください。新たな揉め事になります。あしからず。

そんな、親は親で好きなことを愉しむことが結果的に大切かもしれないという話。