ものさし

ものさし。

もの さし 【物差(し)・物指(し)】

①物の長さを測る道具。竹・プラスチック・鉄などで細長く作り、その縁に目盛りをつけたもの。さし。 「 -を当てる」②価値程度などを判断する基準。評価の尺度。 「審査員の-は一様ではない」
(三省堂 大辞林より)


自分を律するために誰でも持っているもの。自分の尺度。
それにより自己評価をして行動を選択して、更なる自分へと高めていく。
もしくは自己嫌悪していく。個人差があり善し悪しがあるもの。

大切な羅針盤。

しかし自分自身に使うのは良いけれど、それを他人に使ってはいけないらしい。
たとえそれが「自身の分身」であったとしても。

昭和の頃と違って現在では「子どもの権利」があり、親であろうとも侵してはならない。
それは、生まれたてで言葉を使うことが出来ない乳児も含まれる。言葉に出来ていないとしても心の言葉を聞かねばならない。福祉の現場ではそのように教えられていて、思想上はそういうことになっている。

昭和の時代では子育てには親の「ものさし」が必要で、どこの家庭でも親の「ものさし」で子どもを教育していた。「親ファースト」だった。

今は逆に「子どもファースト」になったと言える。

ともかく。自分の「ものさし」を、誰彼にも使わない。
たとえ「常識」という名前だったり「一般」という名前でも、使わない。
それが「相手を尊重する」「子どもを尊重する」ということにつながる。

しかし、相手の主張すべてを飲み込み受け入れることを「尊重」とは言わない。
ただ、それであることを認めるだけだ。

違う意見であったり、私はこう思うとか、違っていても全然かまわない。
それはあなたの守られるべき「人権」なのだから。

あなたの持つ「ものさし」は守る。あなたのものなのであなたはそれを持っていて良い。
あいての持つ「ものさし」を認める。あることを認める。

互いに互いを認めて尊重しあう。否定されて侵害されたなら抵抗して良い。
そうして歩み寄り譲り合い「公共の福祉」を目指す。

納得のいく形をさがす。それは互いに認めて尊重するからできること。

ものさしを置いて。

それで良いんだ。

時代が変わったらしいよと。認め合って、笑い合おう。