言葉なんて飾りです

生まれたての赤ん坊を思い出して。

赤ちゃんの出来ることは、眠ること。

それ以外は、不愉快か、愉快か、に反応して様々な行為をすることしか出来ません。

不愉快ならそれから逃れようとするし、逃れられなければ不機嫌になり、暴れ叫び泣きます。

愉快なら更に得ようとして求めて、得られたなら笑い、喜びにはしゃいで声を上げます。

それはすべての人間がそうであり、青年になり中年になり老年になり死ぬまで同じです。

単に行動力を持ち、言葉を使えて、論理を覚え、摂理を知り。

暴力と嘘と、ズルさを覚えただけなんです。

不愉快でも笑い、愉快でも怒る。

叫んで暴れてるとしても、それは言葉に出来ない悲しみと不条理への抗議かもしれません。

同じように暴れているとしても、金銭を要求するための暴力かもしれません。

ともかく、すべての人間は愉快を求めて行動をするし、選択します。

大人になっても子供の時と変わらない感性で、一喜一憂する傾向や対応は変わりません。

女性は出産をする関係上、本能的に愉快に敏感です。

つまり、不機嫌な人よりも機嫌の良い人を選択して付き合います。

そうして円満な家庭を求めて、巣作り、子育てをしようとします。

すべての人は、不愉快からは離れていき、愉快に集まります。

言い換えれば、日常的に機嫌が良くてニコニコしているか、不機嫌に不満ばかりで困り顔なのかは、交友関係や生活を大きく左右するんです。

なかやまは笑顔が苦手です。ずっとしかめっ面で生きてきました。

なので、笑顔が難しいときは手をふるようにしています。

お腹の底から愉快になることが出来たなら。幸せを感じることが出来たなら。

笑顔を分かち合えたなら。

お金や健康や記憶が無くても。何もなくても。

「福祉(つうの・らしの・あわせ)」へと向かえると感じるんです。