言と動

言葉なんて信用していない。

人間は言葉を介して意思疎通をするけれど、言葉の意味や定義は皆それぞれ違うので意思疎通の手段としてまったく信頼に値しない。

言葉の意味を互いに確認して何度も共通概念を再定義しながら話をしないと、正しく互いを理解することは出来ないと考えているし、そこまで徹底しても相互理解は難しいし、理解した上で意見を異にする結果もある。

生きてきた環境、言語の違い、概念の違い、定義の違い、考え違いや勘違い、無知、記憶障害、健忘、諦観、会話中に陥るパニックや思考空転など、様々な理由により会話が成り立たないことはあるのだから、一度で説明を理解してもらえるはずがないと思っている。だから、何度も言い換え手段を変えて説明することに苦痛を感じないし、必要であり必然なことだと考えている。

言葉なんて信用していないので、行動を見る。

何を意図してそうしているのか原理を考察する。

例えば。

言葉にならない絶望の中で、自ら理不尽となって振る舞い訴える「悲鳴」なのか、
自らを詭弁で正当化して理不尽を行使し、対価を要求して愉悦する「獣」なのか。

つまりは、不愉快を訴える悲鳴なのか、愉快を求める搾取なのか。

不愉快でも笑顔を絶やさない人はいるし、愉快でも不機嫌に振る舞う人もいる。

難しい。

昭和の辞書に発達障害なんて言葉は無い。