友人Oさんのこと。

これは戦友の話。

シナリオライターの戦友であり、心の病の戦友の話だ。

東京

いつもトレンチ帽とメガネとヘッドホンで武装して歩いていた「友人O」とは95年頃に仕事で出会って、会社帰りには必ず夕飯を食べる関係になり、様々なことを語り合った。会社を辞めても戦友として連絡を取り続けていた。

彼も心の病気を抱えており、統合失調症と睡眠障害に悩まされていた。眠らないと死ぬので睡眠薬その他の薬を山盛り飲んで寝ていた。両親と別居の兄に対して理不尽への怒りと失望と嫌悪と恨み、今まで働いてきた会社の上司などに対しても恨み憤怒して、嘆き、ずっと苦しんでいた。

「結婚したり子供を残すことはしない、俺は鬼の子だから、俺で俺の家系を終わらせる」と話していた。

彼は生来から両親と住んでいて、兄は別のアパート、父は他界して母と一緒に二人で暮らしていた。邪険に扱われるお母さんと彼とのやりとりに、複雑な心境だった。
中山から見ればお母さんはとても良い人で、「また来てね」と微笑んだ顔は忘れられない。

そして2010年10月。中山は病んで東京を離れ高知に帰ることになる。「もう一緒に会って酒を飲めなくなるけれど、またいつか飲もう」と話し合って、中山は東京を去った。

高知

いろいろあって。

2012年9月一人暮らしをきっかけに、東京に住んでいる「友人O」とビデオチャットで交流を再開する。

母親も死んでしまったらしく、今は遺産相続して購入マンションに一人で住んでいるらしい。別居の兄はタバコの不審火で焼死したと話す。冷静に話す。

交友関係では不信や怒りにより絶縁が続き、彼の数少ない友人との交流は途切れていた。

気づけば、彼の友人は私一人だけになっていた。

収入に関しては、福祉で賄えるようになって就職や勤労から開放されていた。

そして、いろいろと毎日のようにビデオチャットをした。

ビデオチャットだけど一緒に酒を飲み、音楽やアニメや創作について一緒に語った。

プログレが大好きで、自分で作曲をするほどに音楽を愛していた。
正直、趣味はまったく合わないし何度も意見がぶつかり喧嘩までした。よく続いたと思う。
ただ、互いに互いの意見を分かり合おうとしていた気がする。

もしかすると、わかってもらってばかりだったのかもしれない。

創作

いろいろ話している中で、彼は趣味に生きることを決意をする。

これからは自分のために、創作に人生を使うと。

彼は会社や上司にとらわれることなく、同人作りや作曲をしていくと。

そして彼は誰にも束縛されること無く、人生を謳歌しはじめる。

そうした中で「恨みつらみはもう過ぎた過去だから、そうしたことに自分の人生を使うのをやめることにする」と話してくれた。

「両親については、もう恨みもなにもない。兄の理不尽は死んでもまだ許せないけど、まだ時間がかかるだけ。昔の会社や上司のことも、もう俺の人生に関係ないから気にしていない」

「自分の作りたいものを作って、好きな音楽を聞いて、作曲して楽しんで。そうした俺の作品に共感して買ってくれる人のために、作品作りを頑張っていきたい」

そう言って。

「あと10年は使うぞ」と、買ったばかりの新しいパソコンを愛でて笑った。
あれをやろう、これをやろうと話す。

そして。

「じゃあ、またあした」

ビデオチャットを切って。

翌日。

彼からのビデオチャットはなかった。

彼は週一回家政婦さんに来てもらっていたが、その家政婦さんが彼が眠るようにベッドの中で死んでいることを見つけた。2017年4月のことだった。

もう、10年後の彼には会えない。

東京にある家族の墓に埋葬された。
そのうち行きたいが、いつになるのかはわからない。

長渕剛「Captain of the Ship」(歌詞)

彼が熱く語っていたな、そういえば。