
まず、自分は駄目でクズであると自覚する。
他人になんだかんだ言えるような人格者でもなければ、そんな権利は無い。強いて言えば相手の人権を尊重するということは、相手をそのままあるがままを認めなくては始まらない。
それはそれで、あるべき姿なので在って良い。
だから何も言えないし、言う権利はない。
そうして自分はゴミクズだという自覚の上で。
相手の行動や存在が、自分にとってどういう意味があるのかを考える。
影響を考える。
それは自分にとって許せないほどの影響力が有ることなのか。
自分の人権を脅かし、生活苦を与え、未来を奪う可能性があるのか?
■それほど苦渋でもない?
相手が心配で相手にしてあげたいから、しないといけないと思っているだけなのか?
なら、余計なお世話はしないで良い。
求められるままに、相手へ応えるだけでいい。
なぜなら、自分はゴミクズであって誰も助けることなんて出来ないんだから。
相手を、そのままであることを尊重するとは、それであることを認めることだから。
だから何もしなくていい。求めに応えるだけでいい。
■人権を脅かす重大な影響がある?
それなら、自分の権利を守るために相手へ自分の権利を主張して、互いの権利を突き合わせなければ始まらない。許せるところと許せないところを互いに調整して、譲り合う。
自分が譲ってばかりでは、それは自分に対する人権侵害だ。
自分の人権を尊重できない人は、他人の人権も尊重できない。
なぜなら、特定の人物の人権を優先した挙げ句に、その人物以外の人物の人権を疎かにするからだ。
権利を一方的に譲るのは、譲り合いの精神とは言わない。
■譲り合えない?
それなら、別居するとか、人生を分かつしかない。
──とはいえ、そう割り切ることって難しいよね。そんな話。